感化と変化の記録

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

自分のハンドルネームについて

「3.俺14」は、もともと名前として位置づけていなかった。「『ドレミファ俺ソラシド』みたいに、『俺』という(自分ではない)概念としての存在が全世界共通の決まりの中に存在したら面白いな」という流れで生み出した、ネタのようなものだった。

それが、何やかんやで名前として使うことにした。

本名からハンドルネームへ

今年の秋頃までは、「ハンドルネーム = 本名」だった。それで満足していたが、ある時満足出来なくなった。Twitterのフォロワーリストを見ている時だ。

埋もれる」と思った。

多くの実名の中に埋もれてしまう。だから、ハンドルネームを新たに考える必要があった。

参考:クリエーター×クリエーターから生まれるコンテンツメディア | Qreators.jp[クリエーターズ]

命名の必然性と愛着の問題

ハンドルネームには愛着が欲しい。愛着がなければ、使いたくない。

例えば「プーチン」はどうだろう。これはだめだ。必然性がない。呼びやすいし響きがいいのだが、「自分」には何の関係もない。愛着が持てない。

さん付けで呼ぶ時の面白さから、「さん」というハンドルネームにしていた時期もあるが、それをやめたのは上記の理由だ。

ハンドルネームを決める際に次に取り掛かったのは、名前を自分と関係させること。

f:id:DaikiYamagishi:20161226223650p:plain

反対の語を取って並べたら、「小海」という実際にある苗字が出来た。次は名前だが、「沿」を入れて名前っぽくするのは難しかった。そこで、「自分はどんな感じか」を取り入れることにした。「お前『枯れ木』って感じする」と以前言われたことがあるので、「冬」の字を入れることにした。

その結果、「小海冬馬(こうみとうま)」という名前が出来た。一応全て自分に関係するものなので、愛着を持ってしばらく使っていた。

そして、ある時気がついた。「『山岸大騎』も『小海冬馬』も他人からしたら一緒じゃん」と。「苗字 + 名前」という型にはめているので、どちらも同じようなものだ。結局埋もれてしまう。

この辺りに来ると、もはや「名前」という概念そのものがイヤになっていた。「どうすりゃいいんだよ」と。

プーチン大統領は、名前でかなり得をしていると思う。仮に「ダヴィド大統領」とか「ヴォロディア大統領」みたいな名前だったらどうだろう。どんな印象を受ける? こう、グッと威圧してくる感がある。その点「プーチン大統領」の丸さといったら無いよ。ぷーちん、ぷーちん。
(2016年5月1日 21:21)

全世界で唯一であること

もう一つ押さえたい条件として、「他と被らないこと」があった。Googleや、Twitterの検索で引っかからない名前にしたかった。

考えてみたものの、「よっしゃ!」と思うものを見つけても誰かしらが既に使っていることがほとんどだった。

ちくしょー! 「díː」って名前の人いたー! 良い名前だと思ったのに……。残念。DeliもDexiもいるし、どうしよう。あぁ……。
(2016年9月30日)

この「かぶりまくり現象」は意外な事だった。俺は凡人ということか。かといって突飛さを求めると、愛着が持てなくなる。

その後、何やかんやで愛着と無二の中間地点として「3.俺14」にした。被らないし愛着もあるっちゃある。

余談:江頭2:50という先駆

「江頭2:50」という名前はすごい。なぜなら、「時刻を名前に入れる」という概念が新しいし、「名前である」と分かるからだ。

すごさ1. パイオニア

例えば、A君が「片桐アフタヌーン」というハンドルネームを付けたとする。その場合、もう江頭2:50の二番煎じになってしまう。「時」という大きな括りの中では同じだからだ。

時間系は「もう満員だぜ……」だぜ。

すごさ2. 成立性

「江頭2:50」は「名前である」とすぐ認識できる。これも凄い。

例えば、「デターマイン駅」、「黒沢白病」などの名前。これらは、「そういう駅や病気があるのかな?」となってしまう。名前として認識できない。その点、「江頭2:50」は何とも結び付かないので、名前として成立している。

以上のような凄さを、「江頭2:50」という名前は持っている。その影響を少なからず受け、「3.俺14」をハンドルネームとして使おうと決めた。

(2016年12月26日)