感化と変化の記録

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3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

またある時は偶然性を信じるようにしている

考察・問いかけ

今やっている行動に確信が持てると、その瞬間からそれがさもやるべき行いかのように思えてくる。

こじつけと信仰

不協和音が何よりも優先されるこの部屋では、老人が年相応のシャドーボクシングを見せつけてくる。味を占めた成金カタツムリは、倍速で動くゆりかごを利用して売名の準備を着々と進めている。6人のドストエフスキーは、外皮に守られたダンゴムシから絶大な賛辞を向けられ、そこに12筋の光が差している。

搾りかすだけど気に入っている言葉たちを集め、文章らしきものを作っている。今はその最中。「12筋の光」と打ち込んだあたりで、「この行いは間違いではない。必然だったんだ」と思った。その理由は本当にしょうもない事。

「12という数字は6の丁度2倍だから」

論理がバグっている。おかしい。それは重々承知だ。しかし、偶然性を感じたことによって、ゴールを決めていない不安な行動に確信が持てた。それまでは不安を隣に置きながら、「別々の文章から気に入った言葉だけを切り取って集める」ということをしていた。


なぜそれが不安なのかというと、その作品におけるルールとして、「過去に作った文章は変えない」というものがあったからだ。その作品とは、「目を閉じて、瞼裏に展開される映像を文章化する」というもの。1つ1つの文章は独立していて相互に繋がっていないので、それぞれでその時に完結していた。そして、その文章が作り出された時の状況そのものも大事にしたいため、文を変えることは何か違うのである。後で変えてしまったら、たとえそれが面白くても、もうそれは「別のもの」になってしまう。

良識ある裁判官を、滅多打ちしたい衝動に駆られる小学二年生。髪も乾ききらない内に、敬語でごまかした毒入りのアップルパイを投げつけた。飛びかからんとしたときの目は、80年後の臨終間際の血走りを先取りした。

例えばこういう文章を過去に作っていた場合、「『髪も乾ききらない内に、』の部分要らないな」ということで後から消してはいけない。そういうこと。だから、「気に入ったフレーズだけを集める」という行動は、「こんなことして何かになるのかなあ」という不安があった。「今までのルールに反する」という不安定さがあった。


そこにきて、「6人のドストエフスキー」と「12筋の光」という何の関連性もない言葉に、こじつけを以て関連性を持たせた。感じた。「あ」という間にモヤモヤは消え、何事も無かったかのように励めるようになった。

このようなことは日常で度々あり、あらゆる場面で助けられている。それは、「客観視」とか「整合性」とかは全く蚊帳の外な世界だけど、全てが自分の中で完結することだから、「それでいじゃん」となっている。

JORGE JOESTAR

その偶然性は、『JORGE JOESTAR』でいう「ビヨンド」の感覚。動かされているような感覚。

(2016年12月17日)

追記:2016年12月27日

Twitterの2つのアカウントにおいて、フォロー整理をした。

その際の「ミュートしているアカウントをリムーブしたことに対しての不安」は、「整理が終わった後、両アカウントのフォロー数が『12』で一致した」という偶然によって吹き飛ばされた。

「これでよかったんだ」という感覚。