雑記に次ぐ雑記

体験と生活と芸術の考察ブログ

ある日蝶が羽ばたいた時のこと

授業の開始時刻になっても講師が現れない。なかなか来ないので、教室内がざわつき始めた。その時、私はいつものように隣の席の奴と話をしていた。そこからしばらく待ってもまだ来ない。結局は休講になった。掲示や通知はされておらず、いわば教授のドタキャンだった。

今から話すヤツ(A)は、この時一つ後ろの席に1人で座っていた。まだ知り合いですらない。誰かが確認しに行ったか、係りの人が連絡しに来たかで休講だと判明したその時、「なんだよ~」という空気を近くの何人かでやんわり共有した。仮想敵を見出して一体感が高まる感じだ。

「じゃあ、飯でも行くか」ってことで、初めて話したメンバー6人で昼食を食べた。そこにAもいた。

テンプレだけど大学生らしい楽しい1年を送ったのも、片思いの相手と花火に行ったのも、あの時授業が休講になったからだと思う。でなけりゃそのまま1つ後ろの席に座ってるAと出会わずに1年を過ごしただろう。Aと出会わず過ごしたなら、あれもあれもあれも起きなかった。

今は疎遠中の疎遠だが、ふと「きっかけ」に思いを巡らせたときに感慨深くなる。きっかけがなければ、何もかもが始まってなかったのだから。

話は変わるが、大学のパンフレットに載ったことがある。それは英語ができなかったからだ。というと意味が分からないだろう。

大学に入学したとき、全員どこかしらの英語のクラスに入る。私は「a」か「b」か「c」に入りたかった。特進クラスだからだ。しかし、特進クラスの下のその他大勢クラス「1~12」のどこかに入ってしまった。

悔しかった。そこで、「特進クラスに入っていなかったら取らなかったであろう授業」を取ることにした。それは英語で日本語を教える授業で、初めに授業の概要を見た時は焦燥感を覚えた。こなせそうになかったから。でも、これを敢えて取ることで特進クラスに行けなかった出来事をプラスにしてやろうと思った。

という前置きの説明は特に関係無いのだが、したかったからした。

ある日、ある教授主催の寿司パーティに誘われた。誘ってくれた人は上記の授業での顔見知りだ。だから誘われた。そこで撮った写真を教授が自らのゼミ生に見せたら、「コイツ、パンフレットに良いんじゃ?」という事で私がパンフレットに載ることになった。

自分一人では何も起きないのである。