感化と変化の記録

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3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

自分が受けた影響メモ(2017年3月25日更新)

芸術・デザイン

過去を遡れば、数え切れない程ある。思い出すたびに追記していきます。

格好つけないから格好いい(2017.3)

Gola Gola Song - Ashok Movie Songs - Jr NTR - Sameera Reddy - Prakash Raj - YouTube

このダンスをマジになって練習した。2014年くらいかな、大学生の時。先輩2人と、「なにこれww! かっこいいwwww」と盛り上がったノリで練習を始めた。「w」という表現は敢えてのことで、「(笑)」ではない。「かっこいいwwww」には、「カッコ悪いけどカッコいい」という意味が含まれている。なぜか。風体、振り付け、曲、これらが格好つけてないからだ。それがいい。言い方を変えると、「鼻に付かない格好良さ」。2人は早い段階で飽きたようだったが、私は練習を続けた。格好つけない格好良さに憧れていた。

今は踊り方を忘れたが、憧れた対象である「概念」みたいなものは残っていたようだ。

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※『山田孝之の東京都北区赤羽』第6話より

あぁ、やっぱり良いな、と。禿げてるからダサくないんだよ

www.youtube.com

禿げてるから鼻に付かないんだよ。あらゆるものが参考になった。

日常の中の非日常(2017.3)

ドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』の第2話を見て、何気ない日常の延長からのフィクションに魅力を感じた。「新入りを歓迎する飲み会」というありふれた日常から急遽、「悪いけど握手はできねぇな」とそこから説教が始まる。「お話」ではなく、あくまでも真実然として進行していくのが良い。上手く言葉にはできないが。

人を怒らせる方法 「もらい捨て」 - YouTube

他に例を挙げるならこれ。「ありがとうっす!」と飴をもらって、すぐさま吐き捨てる。室内で。こんな奴はいない。でも、それをあくまで日常の中に出現させるのが良い。良い。

以前思ったことで、「スーツを洋服店で買って、外を歩きながら雑談して、公園に差し掛かり、当たり前のように池に落ちるまでを1シーン1カットで撮ってみたい。そしてそれを『新しいスーツを買った』みたいなごく平凡なタイトルでアップしたい。最後の数秒のネタバレは最後の数秒まで絶対にしない。説明でも仄めかさない」というのがあっが、今回感じた魅力はそれと似ている。

「何をしてほしいのか」という視点(2017.2)

次に、「何をしてほしいか」を考えます。ここで重要なのは、「何を伝えたいか」ではないということです。このプレゼンを聞き終わった後、相手に何をしてほしいのかを考える必要があります。

引用:誰でもできる、プレゼンが劇的にうまくなる基本テクニック - 科学と非科学の迷宮

視界が広がりました。その新たな視点を持って販促の動画を見ると楽しめる。

VEAT (ビート) 7秒の可愛い動画でファンをふやそう - YouTube

例えばこちらの動画。「7秒の可愛い動画でファンを増やそう?」という声で始まる。これはブログでいうアイキャッチ的な役割を果たしていて良いと思う。「何が出来るのか」が短くスパッと言われていて、かつ興味をそそる内容だ。そして、話者は女性、文字は桃色、背景にはハート。わずか2秒間で、ターゲットである(?)女性にダイレクトアタックを決めている。出だしは快調。

だが、残りの33秒は正直微妙。「何をしてほしいのか」の視点を持って見ると、この動画はもっと改善出来る気がする。

スマホ画面が映し出されて実際の動作が流れているぽいのだが、いまいち何が出来るのかが伝わってこない。「何をしてほしいのか」という発信者の視点は、受信者の視点で言い換えると「何ができるのか」だ。何ができるのかがハッキリとしていて、かつそれをやりたいと思わせることが大事。その部分がしっかりしている良い例を最近目にした。

それはとても単純な動画。ゲームをプレイしている手元と画面、後は背景だけが延々と流れるだけの動画。しかし、心が動いた。そのゲームがやりたくなった。なぜか。それは、「背景」のせいだと思う。背景には様々な景色が映し出される。観光地、街中のカフェ、自然。実生活の中で実際にプレイしている光景が想像しやすい仕掛けになっている。「ここでも! ほら、ここでも!」と語りかけるように、「何ができるのか」が明確になっていた。たしか『Piano Tiles 2』のPVだったと思うのだが、今になって探しても見つからない。見返したかったので残念。

とにかく、「何を伝えるか」という視点で作るより「何をしてほしいか」の視点で作った方が心を動かすことができるということ。今後の参考にしたい。

シンプルな見出し + 記事を分けずに書く(2016.12.28)

見出し

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「ここが見出し!」と認識しやすいので、左の方の見出しデザインにしていた。割と気に入っていて、ずっとそれでいくと思っていた。

アフィリエイトで法人化~4期目を迎えて過去を振り返ってみた | The Joy of Understanding

それが、このブログの見出しデザインを見た後に自分のを見ると、変に感じた。妙に見出しが主張している。視認性が高まり過ぎて、かえって見にくくなっている。なので、右のデザインに変えた。

見やすいと思う。シンプルにすることで見出しが変に目立ってしまうのが解消された。視認性は、スペースを広く取ることで実現した。格好良さも上がった気がする。

記事統合

ホワイトホワイト言うけどさ、実際どうやって記事書いたら良いのよ?に対する自分なりの答え | The Joy of Understanding

SEOの観点ではなくて、「読み手の為になるか」の観点。オススメの物を紹介する系やハウツー系の記事で、まとめれそうな物はまとめることにした。記事が埋もれる可能性が減ったし、スッキリもした。

前置きの多用について(2016.12.17)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

梅原 大吾『勝ち続ける意志力』(2012)

この本では、反対意見へ歩み寄るような前置きを多用している。「確かに、――だが」というやつだ。

読んでいて鬱陶しかった。同時に自分の悪いところを見ているようでもあった。「批判されたくない、嫌われたくない」という雰囲気が伝わってきた。

会話においては、以前からの否定の接続詞が好きじゃなかった。それと今回の気づきを合わせて、そういう前置きは多用しないことにした。

詩的な記事のタイトル

asobitarinai.hateblo.jp

このブログの記事タイトルは、詩的で格好いい時がある。

自分が考察系の記事を書くときに、「格好いいタイトルにしたい」と考える気持ちが強くなったかもしれない。

堂々と自分の名前を発する(2015.11.1)

「めぐみ!」

自己紹介で、堂々と名前を言う女性がいた。

「あぁ……」と惹かれるものを感じた。自信を持って自分の名前を言うのは、何かいいなと思った。

苗字はまだいいとして、名前を言うのには恥じらいがあった。ごにょごにょと誤魔化したくなる。それを、ちょっと変えてみようかと思った。

「記号」の意味の拡大

「記号 = 一般化されたもの全て」という認識に変わった。大学の時に「文化記号論」という講義を受けたのがきっかけだ。

初回の講義で「あなたが思う『記号』を思いつく限り挙げよ」という時間があった。その時は「ドット」や「標識」など、記号らしい記号しか挙げなかった。マークっぽいものしか。

思いついた「記号」を1人ずつ答えていく段になって、ほとんどの人が「!」や「#」などを挙げていく中、自分が「道路標識」を答えたことに少し優越感を感じていた。しかし、先生の「こういうのも記号なんですよ」を聞いて衝撃を受けた。

「机を『バン!』と叩く」、「外の木々が風に揺れている」、「看護師」。

そこから何かが読み取れる、それが何か意味のあるものを表しているなら記号。確かに、その意味ではドットや道路標識と同じだ。

これを機に、自分の中で「記号」の意味が拡大された。

朝日新聞は読まない

takutsubu.dreamlog.jp

1年間受けたこの人の講義は面白かった、凄かった。今どこにいるのかは分からないが、もう1度講義に出て話を聞きたい。

そんなこんなで微かな尊敬が生まれ、バックボーンに興味を覚えた。そこで、この人のBlogを初めから全て読むことにした。

2003年12月からの半年間分を読んだあたりで、「朝日新聞を避けるようになった自分」がいることに気付いた。というのも、新聞各社の同じ記事を読み比べて意見を述べる記事が度々あって、そこでの朝日新聞批判に影響を受けたからだ。

はてなブックマークのトップに頻繁に登場する朝日新聞の記事。初めは「どうせ嘘だろう」とは思いながらも読んではいた。今は、読みすらしない。ロゴを見たらバイバイだ。ロゴミタラバイバイ。