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体験と生活と芸術の考察ブログ

やらないほうが良いこともあるんですね

個人事業主としてカフェを運営」という選択肢

前の運営者が卒業に伴ってカフェをやめるという話を聞いたとき、「これはチャンスだ」と思った。

「自分のお店をノーリスクで持てる」

「自分がお店を経営するという経験ができる」

などと、良いことばかり考えていた。出資者との何度かの話し合いで気分が高揚し、浮き足立っていた。「やってやるぞ!」と意気込み、気持ちが「前に、前に」と進む。

今振り返ってみて、この一連の出来事は「失敗だった」と判断している。それは、周りのこと(リスクなど)が見えていなかったからなんだと思う。

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周りが見えてたら、こんな服装で公の場には行かないよね。超恥ずかしいんだけど、当時は「ユニークで、そこが格好いいでしょ^^」くらいに思っていた。

そんな時に持ち込まれたカフェ運営の話し合いは、春休み中に行われた。

長期休暇中ということもあり、「授業を掛け持ちしながらの仕事がどんなものになるか」を想像できていなかった。 「人集めも、運営もなんとかなるだろう」と思っていた。普通の飲食店経営者はそれが専業なのにもかかわらずだ。

踏みとどまったきっかけは、2人のおばちゃん

カフェの従業員である学生集めは、主にFacebookの個人メッセージで行った。賛同してくれる人はあまりいなかったが、楽観的にいた。授業がない限り、全部自分が店に立つつもりだったからだ。

実際はそうならなかったが、仮にそうなっていたら「自分の時間」というものがなくなっていたわけだ。その大学3年の1年間は多くの孤独経験して性格が強固になった記憶があるので、もし個人事業主として辞められない位置にいたとしたらそれはないことになっていた。そう考えると「良かったな」と思う。

その時期だ、2人のおばちゃんに止められたのは。どちらも経営者だ。

1人目は、古美術屋のおばちゃん。その人とは、店を冷やかしたのをきっかけとして交流があった。

ある日のこと。お店に立ってくれる人を探していて、それを古美術おばちゃんに相談した。その日の夕方、電話があった。

「あなたと会って話をしたいっていう人がいるの。お店に来ない?」

その電話を受け、僕は切りっぱなしの豚肉やら玉ねぎやらヤーコンやらを台所に放置したまま出かけた。お店をやる気満々の心と一緒に。

「お店に立ってくれる人を見つけてくれたのかな。その人と話をして、帰ってきたら料理の続きをして夕飯を食べよう」

店に到着。古美術おばちゃんと、もう1人のおばちゃんがいた。沼津で老人ホームをやっている人だった。

「お店は絶対やめなさい」

会って、自己紹介も早々に言われた。いきなりのことだったので、「なんだこのおばちゃんは……。まだやってもいないのに何が分かるんだ」と思った。

憶測による判断でやめてしまうのは嫌だったので、やってもみないのに「失敗する」とやる前からあーだこーだ言うことに対して反発心があった。失敗すると分かっててもやりたかった。その時は迷惑にしか思ってなかった。「どんどん失敗していいよ!」という誰かの言葉に影響を受けていた。

それから少しの問答があり、少し考えが変わることになる。

あなた、やりたいことはあるの?

ないです

雨の日はこれだけあって、その時お客さんはこれだけくる。仕入れはどれくらいして、それをどうやって取りに行くか。考えたの?

まだそこまでは……

それから生育環境のことなども話し、その後に新しい方のおばちゃんはこう言った。

「あなたは何を急いでいるのか知らないけど、これから一生働くんだよ。先ずやるべきことが他にあるでしょう。お母さんのこともそうだし、あなたの体質が先! あなたはさっき、経験の伴わない知識はどうとか言ってたけど、私は生きてて無駄な知識なんて一つもなかった。店なんかしなくても私がたくさんすごい経験をさせてやる」

「私がたくさんすごい経験をさせてやる」

若い綺麗なお姉さんに言われたかった。

部屋でも布団でもあげるから頑張んなさい

まだこの時、お店を辞めるかどうか迷っていた。機会損失が怖かった。お店を辞めたところで、じゃあこれから何をするのか。それに見合う何かをみつけれるのか。不安だった。

その不安は、夕食に連れていってもらった席で消えた。その後に、「辞めよう」と決心した。

家に帰ると、切り残しのままだった食材は乾いていた。

選択は冷静、かつ慎重に!(出来ればいいのにね……)

おばちゃんが、会ったこともない出資者を怪しい人だと断定したこと。やる前から「やめろ」と言われたこと。自分の主張を否定されたこと。それらに腹が立って、一時は意地になっていた。それが、おばちゃんの所へ通って何回か話すうちに、「個人事業主はやめてみようかな」という気になった。

今、冷静に考えると、「腹が立つ原因となったこと」は「本当にやった方がいいのかどうか」という問題とは関係のないことだ。栄養士になるために大学をやめようと思った時もそうだが、なにか別の追い風のせいで、本質が見えなくなることがある

個人事業主として始めなかったことは、結果的に良かったといえる。なぜなら、バイトという立場でさえ嫌になって7月でやめたのだから。

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※「やる」と決めた直後のやる気の現れ

ブラック企業は許しません」のように企業が悪者にされることがある。自分も前まで賛成だった。しかし、ブラックにならざるを得ないところもあるということを経験として学んだ。そして考えが変わった。
(2014年4月3日 19:18)

カフェの運営が嫌になった理由は色々ある。一番の理由は、「経営者は絶対に一人に決めなきゃダメ」という定食屋のおばちゃんのアドバイスを身にしみて実感したことだ。

助言を聞いているときは、「ふーん」くらいだった。でも、実際に動いていく内に、段々と理解していった。「……このことか!」と度々気づく場面があった。

そこで感じるのは、「意識の高さは、時として危険だ」ということ。

栄養士の時は、「大学の学位なんて価値ねえ、俺にはやりたいことがあるんだ!」。 この件は、「やる前からあーだこーだ言うんじゃねえ。失敗から学んでいくんだよ!」。

これらの出来事は、「やらなくて良かった出来事」に分類された。

余談:過去からの恐怖

ママチャリで80km移動して救急車を呼んだ話 - 3.俺14

この体験の後、しばらくの間「予期不安」に苦しめられた。

出資者と1対1で焼肉に行ったときは、予期不安からのパニック障害がまだ治っておらず、トイレに駆け込んで苦しみを耐えたことがあった。つらさについて話していたら少しは楽だったろうに。

その後、お店が始まってからもそのことは同僚に言わなかった。オープン初日の4月1日からの何日間は大忙しで、セルフコントロールがぶっ壊れそうになった。

ある時、「ヤバくなったらトイレにこもって、症状が治まったらまた戻って、しばらくしたらまた症状が出てきて」を繰り返していて、いよいよダメになってしまった。早退して友人に車で送ってもらい、事なきを得た。

このときは追い詰められていた。 「バイトの立場でこれ」という事を考えると、恐ろしいことだ。

(2016年3月18日)