感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

『悪魔のいけにえ』を見て、タイに行った時のことを思い出した

『悪魔のいけにえ』

閲覧注意。女性の泣き叫ぶ、残虐なシーンが映っています。

The Texas Chainsaw Massacre Ending - YouTube

この絶叫シーンを見て、何を感じますか。僕はこれを見て、タイに行った時のことを思い出しました。

fromztoz.hatenablog.com

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捕まるまいと逃げ、捕まると泣き喚いたあの豚。 それと動画の女性が重なって見えました。

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(2015年12月21日)

選択肢が狭まる開放感

ここからは追記です。上記の話を見返して、思うことがありました。

選択肢が少なくなると、それだけ開放感がある。ストレスからの開放感が。現代は職業の選択が自由で、可能・不可能の問題はあれど、限りないほど目の前には選択肢が広がっている。そのため、「果たしてこの道で良かったんだろうか」と思うことが大昔に比べて格段に多いだろう。

「封建制度いいわー」と生まれたときから職業が決まっていた時代をうらやむこともあった。まあ、その時代に生まれたら生まれたで不満はあっただろう。それは置いておいて……。

自分が生きる上で、守っていることが1つある。それは、「生き物の命を奪うことで生計を立てない」ということだ。正確には、「自分が直接手を下して罪悪感を生む生き物」に関してだ。

植物の命を奪うのには罪悪感を持たない。虫はギリギリ。グレーゾーン。豚とかは完全に無理。なので、野菜を売って生きていくことはあっても、家畜を売って生きていくことは絶対にないということだ。

人生経験として、牧畜などを経験しないのは確かに惜しい気もする。でも、命のことだから。その分野に関しては、もう一切を断つことにしている。そうするようにしてから、日常で「開放感」を感じることが増えた。

私は、「どんどん未知のことを体験して、新しい見識を!」とか、「何でも自分で出来るようになりたい!」などの性質を持っている。そのため、「やりたいこと」というか「やるべきこと」が沢山ある。勝手に首を絞めている。

fromztoz.hatenablog.com

この記事にも書いてあるが、ビジネス書と向上心のせいだと思う。そんな時に、この「生き物の命を奪う系は断つ」を持ちだすと気持ちいい。例えば「魚のさばき方」なんかはやらなくてよくなる。開放感。


漁師が許せねえ。魚に対して何の対価も払ってないわけだろ?許せねえよ。廃業しろ。
(2015年1月5日)

ご乱心のご様子で、お恥ずかしい。が、例として挙げた。これは上記に加え、下記のことも関わってくる。

my理性「鈍器でだったら殺されてもいいかな」

間接武器が許せない。あの、トリガーやらボタンをかるーくやるだけで人を殺してしまう道具。あれが許せない。

なぜかというと、殺した実感を人に負わせないからだ。直接手を下す系の、例えば斧。これは、衝撃が手を下した人に伝わってくるので、まだいい。いや、良くないけど。間接的なやつはそれが無い。

私の夢、それは――(中略)――この世から完全に武器を無くすことです。

引用:ZERO LANDMINE{ryuichisakamoto} - YouTube

ダライ・ラマ14世がこう言ってた。武器全部とは言わないから、せめて間接武器が無くなって欲しい。その人は「人を殺した」という実感を背負って生きていく覚悟があるのだから、殺害の実感を伴わせる直接武器でなら人に殺されていもいいよ。

……。まあ、嘘です。殺されたくない。

この世から何か一つ無くせるとしたら、あなたは何を思い浮かべますか?

(2016年7月12日)