感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

作品が展示されている場所も重要だと思う(三菱一号館美術館:プラド美術館展)

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面白い展示の仕方を見つけた

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展示の仕方で、面白いものがあった。つい立て(灰色部)がくりぬいてあって、吊るされるような形で絵が飾られている。そして、表裏が別々の作品という物。地面には網掛け(赤線)部分から差し込んだ光が落ちている。網掛け部分のことは置いといて、この吊るすような飾り方。これはどういう意図なのだろうか。

キャンバスの違いが与える、絵具への影響

「板」に描かれている作品ばかりで、キャンバス画布と違うのは塗料がひび割れる点。独特の質感を出している。

写真の台頭による影響?

1300-1500年頃に描かれたこの絵たちは、どれも写実的だ。カメラが登場する前だからだろうか。肖像画は分かる。でもそうでない絵たちは? 抽象画とかは、カメラの影響を少なからず受けていると思う。キュビズムとか。「意味ないじゃん。じゃあ絵でしかできないことを」みたいな。

「写実は無意味!」と思ってはないんです

写実的なこれらの絵に、あまり魅力を感じない。なので例えば、「ローブを着たおじいさんが物憂げに上を見上げている」という絵があるとする。そういう絵だと分かったら、例え人一人を挟んだ距離から見ていたとしても、もうそれでよくなってしまう。魅力を奪ったのはカメラだろう。

写実は写実でも、全くあり得ない事柄を写実的に描いたなら面白いと感じるだろう。

El GrecoThe Annunciation

エル・グレコ受胎告知』

例えば、このように雲に乗っている様子とかね。

「だから、写実技術を高めるのは無意味だ!」と思ってるわけではない。リアルで変な絵が描けるように、練習して上手くなっておきたい。

「写真は写実の魅力を――」の一方で……

Bartolomé Esteban Perez MurilloThe Virgin of the Rosary

※バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『ロザリオの聖母』

こうも構図、色彩、人物が美しいと、立ち止まって見てしまう。

12月24日。クリスマスの準備で忙しい中、小包が届いた。中に入っていたのは、家族分のロザリオと手紙。手紙にはこう書かれていた。"ドラキュラ退治などにお使いください。ニンニクと一緒が良いかも"。
Bartolomé Esteban Perez Murillo『ロザリオの聖母』より
(2016年1月18日 11:14)

混沌とした色の世界へ? から?

Peter Paul Rubens『Diana and her Nymphs hunting

※ペーテル・パウル・ルーベンス『狩りをするディアナとニンフたち』

狩りをする人の纏っているもの、それから中央付近の犬たちの描き方が面白い。混沌とした色の世界から這い出てきた、またはそこへ吸い込まれていくようだ。それは、この絵が一貫して右から左へという動きがあることも影響しているだろう。

「作品がどこにあるのか」も重要

Carlos de Haes『Palm Trees at Elche

※カルロス・デ・アエス『エルチェのヤシ』

これを見たとき、ふと思った。「作品がどこにあるのか。それも重要なのではないか」と。

前提として、芸術には「作品に自分の中の何かを見出す」という作用がある。

fromztoz.hatenablog.com

大した絵じゃなくても、じっと眺めることで自分の中にとんでもないモノが見つかるかもしれない。

空港の動く床付近の壁や、観光地の土産コーナーではこういうことが起きにくい。だから、「どこに展示されているか」も重要だ。この三菱一号館美術館は重厚で厳かな内装だ。それがいい。

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以前、そのことを『絵画鑑賞:いやー、素晴らしい絵だなぁ』で皮肉ったが、それは少し的外れ。

因みに、なぜふと「置く場所も重要」と思ったのかというと、Carlos de Haes『Palm Trees at Elche』が、観光地の土産コーナーで見かけそうな絵だと感じたからである。土産コーナーで深い鑑賞は発生しない。

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(2016年1月18日)