感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

着ぐるみは、ある面で演劇の「凄み」を越えている

2014年10月18日、私はゆるキャラになった。「ぇー! かわいー!」って来るけど、中身おっさんだからな? おっさんじゃないか。

一番うれしかったのは、触られたり抱きつかれたりする事。合法で、かつ健全。すごく楽しかった。またやりたい。 

f:id:DaikiYamagishi:20160929115525j:plain

演劇の凄みの一つは

自分ではない何者かになれる」。これは、演劇の凄みの一つだと思っている。普段絶対に言わないようなことを、台本の力を借りて言う。魅力的だ。言わば「登場人物の所為」にして、爽快な気分に浸ることができる。

究極の没個性

完全に自分ではない何者かになれる」。そこが、演劇を越えている点だと思う。100%自分を気にしなく出来る。


中からこっちに笑顔を向けてくるのが見える。自分に向けられたものではないから、中立な立場で見てた。動画を見てるような感じだった。不思議なのは、そこにいる実感がないこと。着ぐるみの目の場所を通して、向こうの人と目が合う。しかし、目の前で起きていることは、どこか他人事。

今振り返ると、それは『マルコビッチの穴』に似ている。

マルコヴィッチの穴 (字幕版)

『マルコヴィッチの穴』が、終盤で急にSBR大統領戦の雰囲気を帯びて、熱くなった。
(2015年10月15日 19:06)

また、ステージに立ったときは、全然緊張しなかったのを覚えている。なんとなく「究極の没個性」という言葉が思い浮かんだ。自分ではないから緊張しない。 究極の没個性だから何でもできると思った。着ぐるみの中にいるとはっちゃけれる。楽しいですよ。

余談

「キャラクターが一貫して笑顔」なのと「内側の人が必死の形相」というギャップが何か良い。初めの10分は問題なかったが、それ以降になると汗が垂れてきた。最終的にはだらだらだった。30分ほどやった後脱ぐときにでた言葉が「死ぬー!」。これ夏だったらどうなるんだと思った。市長の挨拶から始まる紹介のラッシュが、着ぐるみの内側にボディブローだった。

普段だったら公で出来ないかわいい動きができるのも、なんかいいよね。

youtu.be

(2015年12月8日)

fromztoz.hatenablog.com

追記:2016年11月25日

「自分さえも着ぐるみ感が持てたらどうなるだろう」と考えた。ワクワクしてくる。

着ぐるみ感が持てるのはどんな時かと考えたら、「責任を放棄出来るとき」だと思う。着ぐるみの時は、「これは着ぐるみがやっていることで、自分の人格には一切関係のないことだ」という安心感がある。だから、生身では恥ずかしいこともできる。それの感覚を生身でも持てたとき。達成される。

いつの時かは忘れたが、「『自分』というものは無いのではないか」と考えたことがある。連続して「自分だ」と思える要素は、この人生の中で見た目や縁者、過去そのものくらいだ。この見た目を認知している人がいる限り、「『自分』は無いのだから、着ぐるみ感で人生を走る」ことは難しいだろう。でも、やっぱり可能性にワクワクする自分もいる。