感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

これは俺が書いたんだけど、俺が書いたんじゃない

以下の文は私が過去にFacebookに投稿した文だ。いいねが53件付いた。

2013年5月26日の投稿

自分には今、やりたいことが二つあります。

今回はその一つ目について書きたいと思います。それは、国際協力についてもっと勉強することです。なぜかというと、昨年から今年にかけての活動を通して、 自分は何も知らないことに気づかされたからです。それも、恥ずかしいほどに。

無知であることを思い知らされた主なきっかけは二つです。

一つは、昨年行ったタイでの支援活動です。そこでは、日本人の目線と基準で支援をしてしまい、 相手の立場に立つことができていませんでした。単に「こうしたら喜んでくれるだろう・ためになるだろう」と勝手に自分の常識で行動していたのです。全くのおせっかいですね。たちが悪いのが、「自分はいい事をしている」と思っていること。 今振り返ると情けないと思います。

以降、"相手のニーズ"というものを特に意識して、優先するようになりました。

もう一つは、今年まであまり国際協力について勉強していなかったことです。最近授業の関係でその分野について触れる機会が増え、ようやく気が付きました。 国際協力をしたいと日々思っていたのにも関わらず、 行動を起こしていなかったのです。ただ頭の中で考えていただけ。このような経験から、もっと勉強したいと思ったのです。

当面の目標としては、先ず、空いた時間は図書館の国際機関資料室にこもって、 関連書籍を読み漁ります。夏には直接現地へ行って活動したいと思います。

ちなみに今関心を持っているのが、自国の政府から保護が受けられず、しかも、 内政不干渉の原則により国際機関にも保護されない国内避難民についてです。

勉強しているうちに感心事が変わるかもしれませんが、 概ねこの方向で行きたい国と解決したい問題を見つけていきます! 普段は意味が無いと思って公言しないのですが、 後戻りせず達成するために敢えて書きました。 二つ目については、後日にします。


誰なんだよお前は! おい!

これを読んでいる皆さんには驚きが伝わらないことでしょう。変化によるこの驚きは他人には分かりにくい。今では微塵も興味のないことに、このときは力を注いでいたんです。

どこをもって「俺」か

一番の驚きは、決意の内容だけではありません。意見の述べ方や文体、解決策への過程など、ほぼ全てです。別人です。自分が書いたことは確かなのですが、上の文のどこを取り出しても、「これは俺だ」とは言えないんです。「これは俺だ」、つまりは「個性」。

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個性はこのようなものだと以前から思っていました。『個性の一生』と名付けました。「祖先(画像上)から受け継いできた個性」 ÷ 「人数」がまず初めに自分に与えられる個性。それを人生を進める(画像下に向かう)中で他人に影響を受け、個性を深めていく。

要約すると、初めに与えられた個性を限りなく薄めていくことが個性における一生。面白いことに、個性を「絶対的な唯一の人間たらしめるもの」と定義すると、「生まれた状態が一番個性が強い」と考えることもできるんですよね。

もうお気づきでしょうが、人生のどこを取り出しても唯一無二なんですよね。だから、あなたという存在はどんな瞬間もオンリーワンでビューティフルなんですよ! なんてことが言いたいんじゃないんだった。

ここまでの説明では、見出しの問いである「どこをもって『俺』か」には答えられない。関係ありそうで、関係が無い話をしてしまった。「個性」と「自分」は別物だ。もう一度言う。「個性」と「自分」は別物だ

「自分」というものは存在しないのではないか

「自分」という言葉は何の抵抗もなく使っているし、脳みそに自然に入ってくる。

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「ちーっす」と言い合うくらいに馴染み深い。

「自分」ってなんなんだ。こういうのは言語の弊害だと思う。言葉の力が強すぎて、簡単な本質から遠ざかる現象。言葉の上だと「自分」って、凄い自分の所有物っぽい。でも、実際はどこかにある物ではない。概念だし、過去。

まるきり答えが出ないのは、そもそも答えを出す形式の問題ではないからなのかもしれない。模造紙に付箋をどんどん貼り付けていって、それを一つの意見にまとめる。それ以上のものは無く、まとめ終わった時にはもう違う人になっている。ただそれを繰り返すだけなのかも。

だから、「自分」が存在出来るとしたらそれは本人が死ぬ時だけだ。死亡と共に誕生する。葬式には「死」しか感じなかったけど、生まれてもいたんだね。

最後に

何か言いたいことがあって書き始めたはずのこの記事。何を言いたいのか分からなくなってしまった。これを「下書き」入れて再度考えないのは、生の感じを伝えたかったからだ。公開は公開として、日を改めて文を改める。

話変わって、

――勝手に自分の常識で行動していたのです。全くのおせっかいですね。

あの時はこんな文を書いてたけど、今はこんなことは書かない。同じ考えを持った人が嫌な思いをするような文は書かない。そう心掛けている。地球にやさしい文章を書きたい。エコな文章を。