あの時感じた可能性は真実だったのだろう
絵の稚拙さは生きる線を生み出し、個性に繋がる。
幼稚園児の描いた絵はどれも面白い。学校教育によって考えが画一化され、絵とはこういうものと決められることで途端に面白くなくなる。如何にして既成概念を壊せるかどうかが創作。
引用:孤独の発明 - 備忘録
この方(id:cath_129)のメモ書きを通して、永井一正という人が絵の画一化について発言していることが分かる。これに共感。
画一化される前の絵に出合った時
小学三年になる純血バングラデシュ娘がいた。彼女は図工が好きで、物づくりや絵を描くのが好きだという。絵を見せてもらった時に、「良い」絵だと思った。見た目は整っておらず、塗り方は汚い。しかし、絵全体が持つ「チカラ(?)」が配色と相まって心の何かを動かした。
「上手い」絵、ではなく「良い」絵。
母親に、「良い絵だ! いやー、どんどん描かせたら良いと思いますよ」と強めに勧めたのは、今の自分が持っていないものをその絵に見出したからだと思う。かつて持っていたはずの、「自由に、思うがままに描く」ということを。
自分が昔に描いた絵と彼女の絵を比べると、どちらの良さが勝っているということではない。「良さ」は、いってみれば「自由さ」だ。なので、各々のベクトルに良さが走っている。自由は無限なので、どちらの絵も良い。
彼女が「自由に描く」ということを失わなければいいな。褒めた件、母親にはきっと真意は伝わらず、ただのお世辞かオーバーリアクションだと思われたんじゃないかな。
その人が持つ「味」を失うことがある
「絵が上手くなる = 悪いことではない」を信じて疑わなかった頃は、人助けのつもりで絵の上達を手伝ったことがある。
「んー! どうだったっけなー法」と名付けたこの練習方法は、先ず何も見ずに描くことから始まる。
①お題の絵を何も見ずに描く
②写真等を見ながら描く
③再び見ずに描く(確認)
①を入れることによって「あー、これどうやって描くんだっけなー」が生まれるので、②の「見る」がより効果的になる。つまり、質の高い観察を生む。
手順はこんな感じで、上の写真だと左から①、②、③だ。一番右の絵の足元を見ると、確かに味があって良い。でも、左の方がもっと良い。全体的に。
先程も述べたように、自由な世界では「上手さ」は問題にならない。「味」と呼ばれる個性が大事だと思う。
左の絵は、数あるオンリーワン + ナンバーワンと肩を並べる、同じくオンリーワン + ナンバーワンであるのに対して、右は数ある上手い絵の中の最下位くらいだ。
その後、「絵が上手くなる = 必ずしも良いとは限らない」という考えに至った時、「味を奪ってごめんよー!」となった。ところが。
心配無用だったようだ。よかった。
一方、例の彼女はこれから絵画教室に通いたいという。それが果たして、彼女にとって吉と出るか凶と出るか。
(2016年7月25日)