感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

あの時感じた可能性は真実だったのだろう

絵の稚拙さは生きる線を生み出し、個性に繋がる。

幼稚園児の描いた絵はどれも面白い。学校教育によって考えが画一化され、絵とはこういうものと決められることで途端に面白くなくなる。如何にして既成概念を壊せるかどうかが創作。

引用:孤独の発明 - 備忘録

この方(id:cath_129)のメモ書きを通して、永井一正という人が絵の画一化について発言していることが分かる。永井一正さんが何者かよく知らないけど、それでいいんだ。同じような意見に出会えたから。共感できたから。

画一化される前の絵に出合った時

大学時代、バングラデシュ人の先生と仲良くさせてもらっていた関係で、家に行くことが多々あった。先生には、小学三年になる純血バングラデシュ娘(言い方が失礼だったらすみません)がいた。

彼女は図工が好きで、物づくりや絵を描くのが好きだという。絵を見せてもらった時に、「良い」絵だと思った。見た目は整っておらず、塗り方は汚い。しかし、絵全体が持つ「チカラ(?)」が配色と相まって心の何かを動かした。

「上手い」絵ではなく「良い」絵

奥さんに、「良い絵だ! いやー、どんどん描かせたら良いと思いますよ」と強めに勧めたのは、今の自分が持っていないものをその絵に見出したからだと思う。かつて持っていたはずの、「自由に、思うがままに描く」ということを。

自分が昔に描いた絵と彼女の絵を比べると、どちらの良さが勝っているということではない。「良さ」は、いってみれば「自由さ」だ。なので、各々のベクトルに良さが走っている。自由は無限なので、どちらの絵も良い。

彼女には「自由に描く」ということを失わないでほしい(といっても具体的に何もしないけどね!)。褒めた件、奥さんにはきっと真意は伝わらず、ただのお世辞かオーバーリアクションだと思われたんじゃないかな。

 

※「彼女のため」というよりは、「過去の自分を昇華させるため」なのかもしれない

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その人が持つ「味」を奪うことがある

絵が上手くなる = 悪いことではない」を信じて疑わなかった頃は、人助けのつもりで絵の上達を手伝ったことがある。

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「んー! どうだったっけなー法」と名付けたこの練習方法(2016年6月22日)は、先ず何も見ずに描くことから始まる。

①何も見ずに描く

②見ながら描く

③再び見ずに描く(確認)

※①を入れることによって、「あー、これどうやって描くんだっけなー」が生まれるので、②の「見る」がより効果的になる。質の高い観察を生む

手順はこんな感じで、上の写真だと左から①、②、③だ。一番右の絵の足元を見ると、確かに味があって良い。でも、左の方がもっと良い。全体的に。

先程も述べたように、自由な世界では「上手さ」は問題にならない。「味」と呼ばれる個性が大事だと思う。

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左は、数あるオンリーワン + ナンバーワンと肩を並べる、同じくオンリーワン + ナンバーワンであるのに対して、右は数ある上手い絵の中の最下位くらいだ

その後、「絵が上手くなる = 必ずしも良いとは限らない」という考えに至った時、「味を奪ってごめんよー!」となった。ところが。

20161105111636
やはりな。
(2015年12月1日 06:20)

心配無用だったようだ。よかった。

一方、例の彼女はこれから絵画教室に通いたいという。それが果たして、彼女にとって吉と出るか凶と出るか。

(2016年7月25日)