雑記に次ぐ雑記

体験と生活と芸術の考察ブログ

ウィーン少年合唱団のコンサートに行ってきた

コンサートが始まるまで

2016年6月8日。すごく久しぶりに体を洗い、身を清めてからいった(?)。何となく。 19時の開演時間まで結構(1時間程)あったので、しばらく糸魚川市民会館周辺を散歩した。

一の宮神社を神社を歩いたときは、空気の綺麗さに心を動かされた。

今、生命を吸っている

そんな感じで空気がおいしかった。

住んで20年近いけど、初めて通る道とかあって新鮮だった。ある通りからの眺めが別の土地にある光景とダブることもあった。

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※この家は1階のシャッターを上げて、住居である2階に上がっていく。『ノルウェイの森』のミドリの家は、この家で大体脳内再生された

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「このばあちゃん家、義務で通ってたなー」とか、別の場所では「この屋上で髪切ったなー」とか回顧もしてた。

糸魚川駅のアルプス口は、雑草ボーボーの空地が多かった。

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(地元の人しか分からない話はさて置いて、)会場に入った。

「ウィーン少年合唱団」って名前はよく聞くから親しみはあるんだけど、接点が何もないんだよね。

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第一部が「秋」から始まるのはどういう意図だろう。絶対分からん。

初ウィーン少年合唱団

Autumn<秋>

Josef Strauss: Auf Ferienreisen Fast polka, opus 133

ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル≪休暇旅行で≫

登場シーン、伴奏が始まった時点で鳥肌が立ってしまった。突き抜けるような高い声。「少年」を活かしている。変声期を迎えたらOutだな。アジア人っぽい人が何人かいたのは意外だった。少年達がやたらめったら違う方向を向いていたり、ポリポリしたりする所は子供らしさがある。

「思い出補正」で、より感動

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Gabriel-Urbain Fauré: Pie Jesu from "Requiem" in d minor, opus 48

※フォーレ:≪レクイエム≫より<ピエ・イエズ>

レクイエムは独唱。ゾワワーっと鳥肌が立った。思い出補正的なものもあると思う。この曲は、ムラール・K・タルリ『明日、君がいない』という映画で使われている。

明日、君がいない (字幕版)

画像:Amazon

今回のことを説明すると、「映画を通しての心の動きが圧縮されて、何か漠然とした形で保存される。それが今回、歌を聞くことによって、その漠然としたものが再び心に浮かび上がってきた」ということだろう。

堂々としてるなー。(独唱している)メガネの少年! そして、後ろでただ待っている少年達。 次の曲(シューベルト<ブラームス編曲>:≪エレンの歌≫第2番)は独唱パート有りの合唱。何か独唱の方が好きだな。

秋から始まって夏で終わる理由

Winter<冬>

カタコトの曲紹介──7割は聞き取れた!──の後、季節が冬になった。タンバリンが登場した。

Felix Mendelssohn Bartholdy: Veni Domine, opus 39/1

※メンデルスゾーン:≪主よ、来たれ≫

少し暗い曲調。 「(なんで秋からかなのかは)絶対分からん」とか言ったけど、そうだよな。春から始まって冬で終わったら変だよな。暗いよな。

次々と変わる立ち位置

John V. Mochnick: Ave Maria

※モチニック:≪アヴェ・マリア≫

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アヴェマリアの段になって、少年たちがこんな感じで並んだ。見た目以外、特に「聞こえ方が変わった」とかは分からなかった。

Il est né, le divin enfant French nativity carol.

※ロレーヌ地方のクリスマス・キャロル:≪神の子は生まれた≫

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何これ。多分正面の方に座ってれば違いが感じられるんだろうな。

「このアーティストが好き」というのは滅多にない

Eric Whitacre: Glow

※ウィテカー:≪グロウ≫

なんか暖かい歌だ。冬の朝のゆっくりとした時間みたい。

参考に:Glow - Eric Whitacre - YouTube

Mykola Leontovich: Shchedryk Ukrainian New Year's carol

※レオントヴィッチ:≪キャロル・オブ・ザ・ベル≫

「これあれだ!」となった。Daisukeのやつ。イントロだけ好き。

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「この曲が好き!」というよりは、「このアレンジが好き」といった方が正確。聞き比べて、これだけ唯一「いいな」と思ったから。

楽器を演奏し始めたウィーンの少年たち

Wia lustig is im Winter Austrian folk song

※オーストリア民謡:≪冬は楽し≫

楽器を吹き始めたぞ! 全てが歌だけなのかと思ってたけど、楽器使うんだなー。

Josef Strauss: Feuerfest! French Polka, opus 269

※ヨーゼフ・シュトラウス:≪鍛冶屋のポルカ≫

一人の少年が、金槌と鉄で棒を持ちだした。DIYを始めるわけではなかった。「チンチン、チンチン」と鳴らす。鍛冶屋だからか。

歌(声)がどれ程のレベルなのか見当がつかないから、上手いかどうかは聞いていて判断できない。でも、「リズム感ないなー」ってのは感じた。ただし、「ブロークンビート」や「『鍛冶屋』という職業にリズムは本来無いのだから、敢えてずらして本当っぽくしている」という可能性があることは忘れてはいけない。

ハウスから進化した南アフリカ電子音楽事情 ① - YouTube

参考:ブロークンビートの説明部分

「ゾクゾク」について

Spring<春>

15分の休憩の後、春になった。「2列の並び」は先程と同じで、その中でだけ配置が変わっているのは何の意味があるのだろう。

歌を聞いていてゾクゾクくる頻度のことを「ゾク度」と呼ぶことにしよう。それが、ここにきて間違いなく減っている。ゾク度が減るのはいくつか経験がある。ドビュッシー『2つのアラベスク』だ。

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と書いているところで、丁度ドビュッシーの曲(ドビュッシー:≪春のあいさつ≫)が始まった。どうでもいいか。

Debussy, Arabesque #1, Piano Solo (animation ver. 2) - YouTube
鳥肌、立ち死ぬがいいさ!
(2015年10月21日 11:04)

『2つのアラベスク』を初めて聞いたときってのは、上のツイートのような状態だった。冗談じゃなく、文字通り鳥肌が死ぬほど立った。立ちっぱなしだった。聴き惚れて、酔いしれて、没入したノリを見せていたが、今は全然そうでもない。ちょっと悲しくはあるが、しょうがないと思う。

この一連の現象を、「感性の成長、伸び、広がり」だと勝手に思っている。鳥肌が立っているときは、「今! まさに今! 感性伸びてるよ!」の証拠。立たなくなるのは、その部分の伸びが終わった証拠。

「知っている曲」補正

菅野よう子:≪花は咲く≫

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ずっと気になっていたリコーダーのような置物――立ち台のそばにずっと置いてあった――が登場した。一人一人がピンクの花一輪を持って、ステージの手前の縁の方に1列に並んで歌う。

ゾク度が復活している。「日本語(母語) + 知っている曲(のカバー)」だからだろう。

歌詞はあった方が良いこともある

『花は咲く』の「ワターシハナニヲノコシタダロー(カタコト)」の所でゾクピークだったわけだが、そこでちょっと今までの考えが変わった。

それは、「歌詞なんてものは別になくてもいい。メロディを発声するためにあるようなものだろ」という考えだ。多少大げさだが、概ねそんな感じに思っていた。それを始めて思ったのは、NMB48『オーマイガー!』を聞いたときだ。

【MV】オーマイガー! / NMB48 [公式] - YouTube

サビの部分。スローテンポにしてムーディーな感じを出した方がより良いと思った。そういうことがあったから「歌詞は邪魔」みたいな考えが生まれた。でも、『花は咲く』みたいに歌詞があった方が良い場合が存在することを知った。

「わたーしはなにをのこしただろー」のメロディと、「私は何を残しただろう」という歌詞の意味が「バン! バン!」と心にダブルパンチを一瞬にして叩き込んでくる場合を。

www.youtube.com

改めて聞いてみたら、鳥肌立ちっぱなしだった。涙ぐみさえした。感性の伸びを感じた。

※ダブルパンチの件を考えているときに森山直太朗『さくら』になった。パッと正面を向くと、下の図のような光景が目に入った

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「そうやって使うんかい!」

伴奏者は個性を出してはいけない?

Summer<夏>

夏になった。飽きてきた。

なんで楽譜を見るんだろう

演奏の合間を縫って忙しく譜面をめくる様子を見ていて思う。最近山下達郎のインタビューを読んだからでもある。

山下達郎「PERFORMANCE 2015-2016」インタビュー (4/5) - 音楽ナタリー Power Push

そこには「プロンプター(歌詞が表示されるやつ)は見ない。それだけで温度が下がるからね」みたいなことが書いてあった。

「『それ』じゃないの? 楽譜見るのって」。一旦はそう考えてた。

さらに考えたのは、「そこにいるのは伴奏者個人ではなく、『限りなく作曲者の表現に近づこうと個性を没して頑張る何者か』なのではないか」ということ。それが自分の中での正解として落ち着いた。

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会館前の公園で余韻に浸ってる。映画のエンドロールさながらの効用。「決して車の混雑が終わるのを待ってる」とかいう平凡な理由ではない。

終わりに:その他にあったこと

会場全体で歌うような演出があったり、ピアノの伴奏者(ちょいハゲおじさん)がボンゴを叩きだしたり、少年たちが踊りだしたりとかもあった。その踊りというのは可愛らしい振り付けで、それも「活かしてるなー」と思った。

(2016年7月1日)