雑記に次ぐ雑記

体験と生活と芸術の考察ブログ

石田徹也展:静岡県立美術館

価値観の違い

どの作品も特に、「うわあ、すごいな!」と思うことはなかった。何を伝えたいのか分からない。何を伝えたいか分からないと書いたが、解説を読んだらどうやらそのつもりで描いていないようだ。

二年くらい前から、意味をやめてイメージを描いている

らしい。その意味が気になった。

2000年代の作品に差し掛かると、「無題」ばかりになった。基本的に俺もこのスタイルでいきたいが、「無題」という名前さえつけたくない。「無題」を見た瞬間、「あ、意味はないのか」と考えの放棄が起きてしまうのではないか。タイトルはあるけど、見せないよという体で隠すという方法をとりたい。

目をつむったときに流れてくる意味のない映像

か……。やってみるか。


アクリル、油彩両方使う技法なんてあるんだな。

初めて見たモノたち

すごい、「電車の窓に反対側の景色が映ってる」みたいな、イメージとイメージを重ねる描き方初めて見た。概念的にはもちろん知っていたが、それを電車の写り込み以外で描いてみようとは思ったことなかった。


頭の表面が切り取られた絵とかを見てると、「描きたい絵を描いているな」という印象を持つ。


やっぱり模様とかの直線はマスキングテープ使ってるのね。

その後 近くの公園にて

油絵の方向性みたいなのが決まった。前々から、「なんで油絵じゃなきゃいけないんだ?」という疑問は持っていた。パソコンのペイントならもっと手直しが簡単だし、緻密に書き込めば深さだってでるはず。だから、「油絵をやってるという事に酔っているのではないか」と思ったこともある。

ペンタブに欠けているのは、「描いている感」そして、それに伴うリズムや流れ。これは筆出なければ生み出すことはできない。そこで筆の何択かに絞られるわけだ。油彩は何度も手直しができるし、塗り重ねることによって厚みがでる。この厚みが好きだから油彩にした。

(2015年9月24日)