感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

「瞼裏の世界」に出会えました(静岡県立美術館:石田徹也展)

2015年3月15日

三島から草薙まで、スマホをすずりに持ち替えて過ごしてみた。何も起きなかった。この調子じゃあ、上半身裸で乗車しても大丈夫そうだな。
(2015年3月15日 09:20)

静岡県にある草彅駅で降りて、徒歩移動。上り坂をいくつも登り、美術館へ到着。

と思いきや、開館まで時間があったので、芝生で休憩。結構昔の日本語教科書に茶々を入れながらのんびりしていた。

影の重要性

一つ確かに分かったのは、「影大事」ということだ。毛並みにしても電車のボディにしても、何かしらの線が同じ方向に入っていた。ボールペンで描くときに同じ方向に「シャッシャッ」とやると綺麗に見えるのと同じか。

※面を平行な線で埋める技法、ハッチングと言うらしい

人の皮膚の場合は少し違って、線のところもありながら、水滴をたらして波紋を作った後みたいなところもあった。何かを伝えたいってのはあるんだろうけど、それよりも発想の面白さの方に目がいく。

キャンバスの大きさも重要

ぱっと一目で見渡せるくらいのキャンバスがいいのかなと思った。

石田徹也遺作集

描きたいモノ

「これをここに置いたらおもしろそうだけど、現実的には無理だなー」というもの何かあるだろうか。人間とかコンクリートの壁とか、どうやって描くんだろう。散らしたような模様、筆じゃあ難しいよ。

価値観の違い

どの作品も特に、「うわあ、すごいな!」と思うことはなかった。何を伝えたいのか分からない。何を伝えたいか分からないと書いたが、そのつもりでどうやら描いていないようだ。

二年くらい前から、意味をやめてイメージを描いている

らしい。その表現が気になった。

2000年代の作品に差し掛かると、「無題」ばかりになった。基本的に俺もこのスタイルでいきたいが、「無題」という名前さえつけたくない。「無題」を見た瞬間、「あ、意味はないのか」と考えの放棄が起きてしまうのではないか。タイトルはあるけど、見せないよという体で隠すという方法をとりたい。

目をつむったときに流れてくる意味のない映像

か……。やってみるか。

瞼裏の世界 - daikiyamagishi ページ!


アクリル、油彩両方使う技法なんてあるんだな。

初めて見たモノたち

すごい、「電車の窓に反対側の景色が映ってる」みたいな、イメージとイメージを重ねる描き方初めて見た。概念的にはもちろん知っていたが、それを電車の写り込み以外で描いてみようとは思ったことなかった。


頭の表面が切り取られた絵とかを見てると、「描きたい絵を描いているな」という印象を持つ。


やっぱり模様とかの直線はマスキングテープ使ってるのね。

その後 近くの公園にて

芝生きもちええー。寝っ転がっちゃったりして。この(どうなってもいい)服を着てる功だな。


子供連れ、学生。ピクニック楽しそうだ!これくらいの広場、学校か家の近くに近くに欲しいなあ。
(2015年3月15日 12:33)

油絵の方向性みたいなのが決まった。前々から、「なんで油絵じゃなきゃいけないんだ?」という疑問は持っていた。パソコンのペイントならもっと手直しが簡単だし、緻密に書き込めば深さだってでるはず。だから、「油絵をやってるという事に酔っているのではないか」と思ったこともある。

で、今度からどうなったかっていうと、抽象画のみを扱うことにした。ペンタブに欠けているのは、「描いている感」そして、それに伴うリズムや流れ。これは筆出なければ生み出すことはできない。そこで筆の何択かに絞られるわけだ。油彩は何度も手直しができるし、塗り重ねることによって厚みがでる。この厚みが好きだから油彩にした。

振り返って

どんな絵だったかを思い出せないのがあって、残念。本買おう。これを読む人はなんのこっちゃなんだろうなー。

(2015年9月24日)