感化と変化の記録

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3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

「見える親切は居心地が悪い貸し」という考え方が心にブチ刺さった

考察・問いかけ

なんとなく分かってはいたのだが。

「ありがとう!?」

fromztoz.hatenablog.com

「Little Free Library(以下、LFL)」という社会活動がある。道端で本の物々交換をする仕組みになっていて、だれでも利用可能。アメリカ発祥で、その本棚の数は4万を超える。日本には2つくらいある。

参考:FAQs | Little Free Library

その活動を知った私は、導入するべく、活動を始めた。それについては本筋とは関係ないので省く。本筋は、LFLを知ったきっかけだ。それは、大学のある先輩。「こんな活動があるよー」と教えてくれた。

その後、本棚を作り、LFLから正式に許可をもらった。そして、ある時その先輩に会った。きっかけがあってこその今の状態なので、「(きっかけをくれて)ありがとうございます!!」とお礼を述べた。その時。

ありがとう!? ?

困られた。そこで食い下がらなかった。「いやいや、教えてくれたのはあなたじゃないですか! だからですよ!」という具合に。感謝して悪いことなんて何もないと思っていたからこその行動だ。

地上20㎝の腰

遡ること2, 3年。ボランティア系のサークルの部活動にて、イベントの準備をしていた。必要な道具を後輩に取りに行ってもらおうとした。

「○○くん」

「はい! どうしたんですか(ペコッ)」

「××を取ってきてほしいんだけど」

「はい(ペコッ)、分かました(ペコッ、ペコッ)」

(略)

「取ってきました(ペコッ、リョウテサシノベー)」

ありがとう、なんでそんなに腰低いの?

そう、腰の低すぎる後輩がいた。同じ班に2人いた。後輩3人中2人だ。

※因みにメガネ率は0だ。比率が逆なら分かるが

この後輩を、反面教師とした。後々、先輩に対する自分の姿勢を客観視する上でいい指針になった。腰が低すぎると、それはかえって嫌悪感を覚える。「ホドヨイビヘイビアー」を誓った。

ここで話は、最初に挙げた「見える親切は居心地の悪い貸し」に戻っていく。

今日も今日とてタイガーマスク

目上の人に対して過剰に下手に出るのはナンセンスだということが、体験として分かった。しかし、「人に与える優しさについては」何も考えてはいなかった。優しさをただの良い奴だと思っていた。だから、包み隠さず相手に放り投げても誰も――他人はもちろん自分も――困りはしないと思っていた。

そんな私でも、「優しさの押し付け」みたいなことは良くないという考えは生まれていた。「地上20㎝の腰」から2年後くらい(2015年)のことだ。

おせっかいはわがまま。お世辞は保身。沈黙の気まずさへの敗北は無用な配慮。むしろ壁生成案件。ほめ過ぎるのもダメダメ。そんな風に「優しさ = 聖人」ではないということは分かってはいた。

今日も今日とてタイガーマスク。winの累乗に繋がればと想います。
(2013年7月3日 00:24)

その証拠に、「友人が風邪をひいたから、気づかれないように家のドアにお見舞い品を置いて帰ってくる」みたいな行為をいくつかしていた。

でも、それは何となくのことで、「ストン」と心に納得させる明確な言葉が無かったのだ。ゲスい話、「何かを与えれば恩を売れる」みたいな考えもあったので、自分のいらなくなったピアノやカメラなどを知り合いにあげていた。

しかし、貰った人はどうだろう。

あいつ、要らないって言ってたし、貰って当然だよな!)

こうはならない。傲慢でなければ。「もし自分が貰う立場だったら?」と考える。素直な「ありがとう」よりも、申し訳なさが先に来る。そして、心の中でお返しの小さな義務感が発生する。そう、きっとそうだ。

相手の『申し訳なさ』と『感謝の念』をプラマイゼロにしてこそ、本当の優しさ。それをいかに自然に行うか

これはいつからか、日常における自分への課題だったわけだが、その方針の正さを確信させてくれる言葉に出会った。それが、初めに挙げた呟きだ。

相手に直接見せる優しさは相手に居心地の悪さを感じさせる貸しでもある一方で――

そう、「居心地の悪い」貸しなんだ。というか、むしろ貸しを作ったのは相手の方なのではないか? 「優しさを受け入れてくれてありがとう」とこっちが言うべきなのでは?

もう、「恩を売る」という考えなど無い。優しさを与えることで「恩」が生まれるのであっても、それは生まれた瞬間に相手の受容を以って消える。と思う。

あまり考えがまとまってないので、日を改めてリライトすることにしよう。

追記:2016年11月16日

『も~っと!おジャ魔女どれみ』第45話の「みんなで!メリークリスマス」見ていて、似たようなことがあった。それは、終盤のこと。不登校の女の子が復帰する瞬間、教室の手前で発作的に嘔吐しそうになる。そこで主人公が「ここに吐きな!」と自分のシャツを伸ばしてゲロの受け皿を作る。「そんなの……。悪いよ、迷惑かかるし」となっている不登校少女に対して、「ここにもあるよ!」とクラスの皆がゲロ受け皿を作る。脚本の当然の成り行きとして、不登校少女は「みんな……(泣)」となって感動の大団円へと向かう。

両脇がクラスメイト全員で埋まっている教室への道や、「帰って来たねおめでとう!(クラッカーパンパーン!)」は、なんか親切で殴ってる印象を持った。皆心優しいんだけど、当人にとってそれは複雑なんだよなー。