雑記に次ぐ雑記

体験と生活と芸術の考察ブログ

「見える親切は居心地が悪い貸し」という考え方が心にブチ刺さった

なんとなく分かってはいたけど、明確に意識したことは無かった。共感する言葉を見つけた機会に今までの事を振り返ってみる。

地上20㎝の腰

ある部の活動で、イベントの準備をしている時の事。必要な道具を後輩に取りに行ってもらおうとした。

「○○くん」

「はい! どうしたんですか(ペコッ)」

「××を取ってきてほしいんだけど」

「はい(ペコッ)、分かました(ペコッ、ペコッ)」

(略)

「取ってきました(ペコッ、リョウテサシノベー)」

「ありがとう、なんでそんなに腰低いの?」

そう、このとても腰の低い後輩。彼を反面教師とした。それは、先輩に対する自分の姿勢を客観視する上でいい指針になった。腰が低すぎると、それはかえって嫌な感情を覚える。だから「ホドヨイビヘイビアー」を誓った。

タイガーマスクマン

今日も今日とてタイガーマスク。winの累乗に繋がればと想います。
(2013年7月3日 00:24)

「地上20㎝の腰」が影響したのか、「友人が風邪をひいたから、気づかれないように家のドアにお見舞い品を置いて帰ってくる」みたいな行為をいくつかしていた時期がある。でもそれは何となくのことで、「ストン」と心に納得させる明確な言葉は無かった。だから、過剰なプレゼントをしたこともあった。それは、自分のいらなくなったピアノやカメラなど。果たして貰った人はどう思うだろう。

「あいつ、要らないって言ってたし、貰って当然だよな!」

こうはならない気がする。もし自分が貰う立場だったら、素直な「ありがとう」よりも申し訳無さが先に来る。そして、心の中でお返しの小さな義務感が発生する。そう、きっとそうだ。

当時は「優しさ」をただの良い奴だと思っていた。だから、包み隠さず相手に放り投げても誰も困りはしないと思っていた。相手に対する「感謝」についてもそう。次はその一例。

「ありがとう!?」

大学のある先輩がきっかけで、「Little Free Library」という物を知る。「こんなのがあるよー」くらいの熱量で紹介された。

それの設置許可を団体から正式にもらって一区切りついた頃、たまたまその先輩に会った。教えてもらわなければ普段の生活で知りえない事だった為、「(きっかけをくれて)ありがとうございます!!」とお礼を述べた。その時。

「ありがとう!? ?」

驚くように困られた。しかし、私はそこで食い下がらなかった。「いやいや、教えてくれたのはあなたじゃないですか! だからですよ!」という具合に。

そんなことがありながらも、「優しさの押し付けみたいなことは良くない」という考えは何となく生まれていた。そして、「相手の『申し訳なさ』と『感謝の念』をプラマイゼロにする事」を優しさとし、それをいかに自然に行うかをいつからか日常の課題にしていた。

そんな中、その方針の正さを確信させてくれる言葉に出会った。初めに挙げた言葉だ。

相手に直接見せる優しさは相手に居心地の悪さを感じさせる貸しでもある一方で――

そう、「居心地の悪い貸し」なんだ。むしろ「優しさを受け入れてくれてありがとう」と思うくらいでなくては。

両手にゲロを

(追記:2016年11月16日)

『も~っと!おジャ魔女どれみ』第45話の「みんなで!メリークリスマス」見ていて、似たようなことがあった。それは、ハッピーエンドとされる場面のこと。不登校の女の子が復帰の為に教室の手前まで来る。その瞬間、発作的に嘔吐しそうになる。そこで主人公が「ここに吐きな!」と自分のシャツを伸ばしてゲロの受け皿を作る。「そんなの……。悪いよ、迷惑かかるし」となっている不登校少女に対して、「ここにもあるよ!」とクラスの皆がゲロ受け皿を作る。脚本の当然の成り行きとして、不登校少女は「みんな……(泣)」となって感動の大団円へと向かう。

両脇がクラスメイト全員で埋まっている教室への道や、「帰って来たねおめでとう!(クラッカーパンパーン!)」は、なんか親切で殴ってる印象を持った。皆心優しいんだけど、当人にとってそれは複雑なんだよなー。

受け取り拒否のギフト

(追記:2017年9月25日)

先週末、職場の先輩に子供の誕生祝を贈った。普段席は隣で、教育半分補助半分でお世話になっている。翌週、贈ったAmazonギフトカード3000円分は「困るよー」という言葉と共に返された。申し訳ないらしい。勉強になった。これからは友達とかではない限り一切贈り物はしないと決めた。