大原美術館展 名画への旅:静岡市美術館
関係のない色を使っていても、説得力がある
自画像にしても風景画にしても、抽象画に近いような、きめの荒い絵だ。それなのに、「これはなんの絵だ」と分かる。
あと、全体に実際とは関係のない原色が入っている。それでも絵になっているのは、ベースカラーの役目を実際の色が果たしているからだろう。
児島虎次郎『姉妹』
やっぱり絵の色は自由でいいのだという思いを強めてくれる。
ベルナール・ビュフェの絵は、抽象さにおいて、「荒いな」と思ったけど、この人のは写実的に「荒い」と思った。どちらも悪い意味ではない。この人のはベタベタしていて、点描画に近い。筆の跡が見える。
今まで、油絵の人物画で見てきたのは、レオナルドダヴィンチとか、すごく繊細なタッチのものばかりだった。 だから、新鮮だ。そして、これはこれでいいと思う。
木目にピンクや青、オレンジと、いろいろな色が塗られているのは面白い。金一色であるはずの彼女たちの髪にも青や赤が混じっている(上図)。全く違和感はない。
手の指と指の間とか、顔とか、モザイクをかけたようにぼやけている。そういうのが作品全体の淡さを作り出しているのだろうか。繊細な写実絵では思わなかったけど、この筆の跡が残るようなダイナミックな描き方こそ、「油絵の醍醐味だなあ」と思う。
この『姉妹』の絵は気に入った。いつまでも見ていたい。ポストカードがあったら買いたい。
統一感のある、バラバラな色たち
Paul Signac『Canal of Overschie』
※ポール・シニャック『オーヴェルシーの運河』
水車とか木の杭とか、船の配色がめちゃくちゃなのに、落ち着いて見れる。それは、全体として色が統一されているからだろう。あまり多くの色を使っておらず、運河の音が基本色として使われているイメージ。
ピンク、青、緑、白……と書いたところで思い出したのは、昨日のこと。100均で絵の具を買おうとして、色が少なかったからAmazonで買ったということがあった。「色少なくても描けるんだ」。そんなことを思った。
(2015年8月31日)