感化と変化の記録

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3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

被災者に見えない自粛は本質的ではないのか

考察・問いかけ

貯蓄のパラドックス

皆さんはご存じだろうか。「貯蓄のパラドックス」を。私は、つい最近知った。

簡単にいうと、「みんなが貯蓄すると、貯蓄が増えないよ!」というものだ。貯蓄すると、貯蓄が増えない? だから、パラドックス。それは、マクロ経済学を勉強しているときに知った。

www.youtube.com

参考:0:00 - 5:00

講義の初めに「『貯蓄のパラドックス』ってご存知ですか?」と聞かれた時は分からなかった。でも、説明を聞けば「あぁ、それはそうだな」と納得した。

貯蓄のパラドックス

※上の動画をもとに図を作成

「貯蓄のために消費を抑える」。これを一人でやる分には、経済にほんの少ししか影響を与えない。ガリガリの奴に「やーい、デブ!」というくらいの影響しか。

ところが、これを「国民全員がやってしまうとよろしくない」という話。消費が大幅に減れば、不況になる。不況になれば、所得が減る。所得が減れば、貯蓄が減る。貯蓄が減れば、消費を抑える。……。

悪循環に陥る。確かに。それはそうだ。

その流れで、講義の中では震災のことについて触れている。「自粛は美徳で素晴らしいが、経済にとっては良くない結果を生む。その結果国の税収が減って、復興が遅れる」と。

自粛するなら、見えない所で消費を!

以前書いたように、「目に見えないものは、存在しないと同じ」だ。

fromztoz.hatenablog.com

なので、被災者の見えない所で行われる自粛は本質的ではない。それは墓参りのように、自分の精神や心のためのものだ。

被災者の目に触れない、あるいは届かないモノは存在しないと同じ。つまり、被災者にとって何の価値もないこと。価値があるのは自分にとってでしかない。異論はあるだろうか。

なので、見えない所で自粛するくらいだったら、悲しんでる姿を撮影して送りつけるとか、義援金を贈るとか、今まで通り消費するとかが良いのではないでしょうか。

被災に際して、「何もしてない」という罪悪感がもしも生まれ、それから逃れたいだけなら「見えないところでの自粛」は最適なツールだと思う。

余談:「先生」の墓参り

さっきの墓参りの話に関連して思った。「『先生』は結局自分が可愛かったんだな」と。

こころ

画像:Amazon

「先生」とは、夏目漱石『こころ』に出てくる登場人物だ。もしKに罪悪感を感じ、自分に罪を科すとしたら、墓参りには行かない。

「償わない」という罪悪感を減らさずに、それと共に生きていく。その方が辛いだろうから。

追記:2016年12月9日

「同情するなら金をくれ」

「同情するなら金をくれ」

前までは何とも思わなかったのに、心に入ってくる感じがする。