感化と変化の記録

3.俺14

体験と生活と芸術の考察ブログ

小学生時代の話

石を拾い集めるのが大好きだった

石を集めるようになったきっかけ

始まりは小学校1年の時。キャンプ場近くの滝でのことだ。記憶にある一番古いのはその時。

日の陰った河原に何人かの人が佇んでいる

川で見つけた半透明な石。灰色の石はおそらく何度も目にしていたが、光を通す灰色の石はそのとき初めて見た。他の石にはない特別感と透き通る美しさに心を奪われた。

それ以後集めるようになった。大工さんにもらったり、学校の排水金網で見つけたり、海で拾ったり。透明できれいな石、変な模様、何かに見えるもの、いい色。自分の感性に従って、拾いたいものは何でも拾った。好きなものは全部拾った。

父や祖母には、「またそんなの拾ってきて!」とか「将来は石博士か(笑)!」とからかわれていたが、気にしていなかった。注意されても、心で「ふふふっ」と笑ってた。

脆くて、仄かに透明な石

1番印象に残っているのは、火山付近で拾った石だ。

学校(?)のハイキングで、ブナの森とかに行った帰りで、山を下っていた。 道のわき、山の根元に大量に落ちていたそれ。上から落ちて割れたのか、端がとがっている。半透明の緑で脆かった。

美しさに心を奪われ、同じようなのを何個も拾った。ヒスイのように色鮮やかなわけではないが、透明性を持った濃い緑を綺麗だと思った。

石コレクターじいちゃん

自分が通っていた小学校の近くに住んでいるおじいちゃん。話したことはない。 玄関のそばに石を何個もおいていて、前を通るたびに「いいなあ」と思っていた。

何度盗もうと思ったことか(笑)。「見てないから......」と。

もし都会で育っていたら、石を好きになっていなかっただろう。石が身近にないから。

いまだに残る、石に対しての気持ち

その後性格が変わり、ほぼすべての石を自分の手で庭へと撒いた。収集していた時なら、勝手に捨てられて怒ったはずの行動。

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この富士山みたいな石だけが残っていた。

今では収集していないが、大学三年の夏休みにあの滝へ行ったとき、石を何個か持ち帰ったことがあった。熱心ではないが、まだ好きといことだろう。

滝の方に向かって水切りをしている

石関連で、石切にはまった時期もあった。広い水面を見つけると、よくやったものだ。 自分の中で特技として確立していて、自信もあった。

(2016年7月31日)

追記:2016年10月19日

珍しく天気が良かったので、夕方、山へランニングに向かった。途中、水量が少なくなって降りれる河原を見つけた。降りて歩いていると、石を探していた。そして、分かった。

やっぱり、石が好きだ

道に上がり、家に引き返すことにした。『もしもピアノが弾けたなら』を口ずさみながら振り返った瞬間にドキッっっっっ!!!

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すぐそこの小高い所にカモシカがいた。青空をバックに立ちはだかってた。固まって少しの間にらみ合ったものの、放尿していたら逃げた。

帰り道はというと、カモシカが出た途端にクマの存在を気にしてしまって、度々後ろに怯えていた。急速に暗くなってきていたし。途中、タヌキらしきものも見かけ、「わくわく動物ランド*かよ」と思った。

* 咄嗟に出た言葉なため、本家「わくわく動物ランド」は関係ありません

6年間の自由研究

1年生:スライム

スライムを作った。

「お前それ、PVA洗濯のりって言いたいだけじゃん!」ってくらい、PVA洗濯のりを連呼してた。

色によって柔らかさが変わるのが面白かった。オレンジがドロドロだった。

スライム作りにはまり、研究が終わってからも友達と一緒に作ったことがあった。

配合量とかきっちり計ってなかったよな。

混ぜるときのワクワク感、そのワクワクによって回す手が一生懸命になる感じ。いいね。

2年生:石

浅い木の箱に拾った石が貼り付けられている

集めた石を提出した。集めた石は、同じ地域に住む大工さんにもらった箱にボンドで貼って出した。

そういえば、良く大工さんの作業場に遊びに行っていた。それは学校帰り。

大工さんが作業場にいる時は、シャッターが少しだけ開いている。下校中にそれを見つけると、「あ、いる!」と思って寄る。 削ったおが屑が散乱していたり、木のにおいが充満していたり、決して綺麗ではなかった。でも、妙に居心地がよかった。

何を話すわけでもなく、ただただ作業を見ていることがほとんどだった。心がうきうきした。 今なら「話すことないし......。迷惑かな......」とか思ってしまうが、当時はそんなこと全く気にしていなかった。

「自分が行きたいから行く」。あれこれ考えてなかった。興味から行動までに余計な考えは存在しなかった。 あの図々しさは大人にとって「図々しさ」には映ってないんだろうな。自分の仕事への純粋な興味としてむしろうれしいことなんだろうな。

かんなで削るのをやらせてもらったり、何かを作ってもらったりした。その一環で、自由研究のための箱をもらった。

3, 4年生:川

姫川の調査に行った。祖母と母と。

上流のあの冷たい水、綺麗な森の自然。下流の水の汚さ、荒さ。

一番印象的だったのは、上流の水の冷たさ。「天然の水でこんなにも冷たいものがあるのか」と思った。

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5年生:塩の結晶

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塩の結晶を観察した。ドライヤーで小皿に入った塩水を結晶化させ、ドラえもんの顕微鏡(チャレンジ何年生かに付いてくるやつ)で見た。

頑なに模造紙だった

5年か6年の時、すでにみんなは新しい発表技術に乗り換えていた。それは、拡大機みたいなのに紙を置いて、スクリーンに映し出すというものだ。

しかし自分は、模造紙にこだわっていた。一人だけ模造紙で発表していた。黒板に磁石で止めて。 なんのこだわりだったんだろう。頑なに模造紙。

余談なんだけど、当時「模造紙」とは言ってなかった。「大洋紙」だった。大学で静岡へ行き、「模造紙」という言葉が普通に使われるのを聞くまで、そう呼んでいた。 初めて聞いたときは「?」だった。「えっ、大洋紙ってマイナー?」みたいな。

6年生:ボールの跳ねる性質

ボールのはね方を研究。 これは本に乗っていたものを継承しながら、自分なりに新しいボールを取り入れて行ったものだ。

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それを、市の理科教育センターが主催する発表会でも発表した。 その時のことで覚えていることは2つ。

1つは、「ペンを自作しよう」という研究だ。 自分が作ったペンはどれくらい持つのかを示すために、模造紙にただひたすら線を書いて何枚も使っていた。本人は自然にに行ったことなんだろうが、これは効果的だ。感情に訴えかけるから。ただオレンジの横線が並んでいる図は、今でも覚えている。

2つ目は、自分の発表の時の質問だ。「ゴルフボールの中はどんな構造になっていると思う?」という問いに対して、困り果てた。 たしか一度、「分かりません」と言ったが、「勘でもいいから」と言われ困ったんじゃなかったかな。

余談:「大好き」

私が住む県の新聞(新潟日報)には、「大好き」というコラム(?)がある。小学生が、自分の好きなモノを紹介するやつ。どの県紙にもあるのかな?

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小学校3年の時に載った。それを、以下で紹介して終わりにする。

「大好き」

 ぼくが好きな事は、サッカーです。サッカーをしているといやなこともわすれてしまいます。前に試合をして十五㍍くらいのロングシュートそしました。気もちよかったです。今ぼくがかんせいさせたいわざはボレーシュートです。ゴールキーパーにとられないし、かっこいいからです。

 しょうらいのゆめが科学者なので、サッカーの練習をして、じょうぶな体をつくりたいです。

岡村靖幸 あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう - YouTube

(2016年8月10日)

祖母が死んだ後に祖母のスナックに通いたくなった

母方の祖母は「しーぼう」というあだ名で呼ばれていた。私もそう呼んでいた。一緒には住んでおらず、店でたまに会うくらいだった。

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※手に持っているのは、私が拾った流木。店に飾ってくれていた

しーぼうの作るおにぎりはやたらと美味かった。手のひらいっぱいで握ったような大きかった。母に連れられてスナックに行くたびに喜んで食べていたが、行くこと自体は特に喜んでいなかった。進んで行きたいとは思ってなかった

しーぼうが死んだ今、そこに進んで「行きたい」と思う。会いたいというより、しーぼうや客がいるその空間で独特の雰囲気を味わいたいんだと思う。

「あぁ、いくらでも行く機会はあったのになー。手伝いで行くとかさ……」と思うこともある。

でもそれは、「離れてみて良さが分かる」アレと同じなんだと思う。

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ずっと近くにいると鬱陶しくなる

一人暮らしを始めて3,4年経った頃、無性に家族(特に父方おばあちゃん)が恋しくなった。「あぁ、いいなあ……。帰りたい」と。

でも、再び一緒に住むようになった今、鬱陶しく思っている(笑)。一人暮らしの時は何でも自分の好きにできていたので、勝手に畑を構われたり、要らないと言った夕飯を出されたりすると、不満が募る。

それは「おばあちゃんに対する不満」というより、「自分が一緒に暮している、自分以外の人への不満」という一歩引いた視点のものだろう。一人暮らし最高。

帰省の時も感じていたように、「あぁ、いいなあ!」は最初の1週間で終わるんだよ。驚くべき早さで。

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そのことと、祖母のスナックへの思いを関連付けるようになって、後悔は薄れた。薄れはしたが、少しあることにはある。スナックでしか見れない、築けない人間関係があるのだから。そこに集うおじさんやおばさんと仲良くなってみたかった。

(2016年8月9日)

追記:2016年12月14日

おばあちゃんと、ただ何となく、あっためた牛乳を一緒に飲んでるのとか好き。
(2014年12月24日 11:18)

一例を発掘した。この時は帰省中で、だからこそその時間を楽しめた。

再び一緒に住み始めて半年以上が経過した今、それをやっても楽しめない。有難みがないので、むしろ「時間のムダ」くらいに思ってしまう。

家族とのベストな関わり方は、「別々に住んで週1くらいで会う」だと思っている。

変な遊び

「アブオモ」という遊び

「アブオモ」という遊びがあった。「危ないけど、面白い」という意味だ。川の縁を歩いたり、あぜ道を走ったり、小さなダムに登ったりするこの遊び。 やんちゃ少年2人と僕の3人だけがやっていた。

当時の僕は危ないことが嫌いだったので、「オモ」部分が一切なかった。 「これじゃ、アブアブだよ~」と精神的に泣きながら、帰ることをお願いしていた。二人はやんちゃだから良いけど。俺はか弱いからさ。

「協調性」のない今

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今思えば、当時は協調性の塊だった。今そんな輩と進んでつるもうとは思わない。避けて通るね。あの狭いコミュニティーで友達と遊ぶには、限られた人たちしかいない。絶対数が少ないのだ(全校生徒が20人いなかった)。 そんな中今みたいな性格を発揮してたら孤立間違いなし。

そこで、保健室登校の人のことを思い出した。中学時代の話だ。当時は何とも思っていなかったけど、今はその気持ちが分かる気がする。

チューする遊び

小学生って、気まずさを知らない。だから、行動に伴う気まずさももちろん考えない。 だって「気まずい」なんて概念がないんだもの。相手にどう思われるかなんて考えてないんじゃないか。

だから、平気でだれだれが好きだと公言したり、チューする遊びとかを平気でやったりする。チューする遊びとは、マットの中で行われる。

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体育館の片隅でマットを立てる。クッションなんかも使い、空間を作る。中は周りから見えない。両サイドから男女が這って進んでいき、中心部でキスをする。そして、その場で微笑みあい、出てから意味ありげに笑うなりする、というものだ。

なんだそりゃ。

当時、公認カップル的な2人がいて、その二人によってこの遊びは盛り上がりを見せいた。

体の部位を互いにくっつける謎の遊び

僕も、個人的にそういう謎めいた遊びをやったことがある。バスの座席で隣の少女と。「おでこになってー、はなになってー」と順番に顔のパーツをくっつけていくというものだ。

あれは何なんだ。目的とかはないんだろうな。したいからした。大人が見ていて、「おっ、お前ら何やってるんだ(笑)」と注意半分茶化し半分で言われたことを覚えている。

余談:保守性

一輪車は練習しなかった。みんなやってたけど。転んだりするのを見て、「あ、痛そう。僕はやりたくない」と保守性を発揮。

乗りたいという憧れ、つまりできないことができるようになることへの憧れが、今ほど強くなかった。危ないからやりたくない、憧れが強くない、そんなところに保守性が表れてました!

(2016年7月16日)

お寺体験へ行った時のこと

小学校1年生か2年生の時、お寺体験をした。

お寺へ行く前

毎年、夏休みになるとチラシが届く。そのお寺は「霊源寺」という名前で、チラシタイトルは「霊源寺の集い」(だったかな)。 小学生を対象としていて、「お寺の生活を体験してみよう」というものだ。そういう感じのよくあるよね。

行きたかったのかどうかは、よく覚えていない。

集いに集ったのは

小学生は10人くらいいた。自分の通っている小学校――全校20人くらい――からの参加が大半で、2、3人が町の方からの参加。

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「町の方から」と言ったのは、自分がこんなところに住んでるからなんだ。今、『ライ麦畑でつかまえて』の翻訳版を読んでいるから、こんな口調になってしまうんだ。しょうがないね。

それはそうと、その「町の方から」の子供たちとはそれほど仲良くならなかった。でも、その後中学で仲良くなった。 一緒にお寺体験をしたのを知ったのは、高校になってから。何気なく写真を見返していて、驚いたね。どうでもいいね。

覚えている出来事を一つずつ上げていきます。

お寺での箸づくり

チラシに「持ち物:小刀」と書いてあった。今は錆びついてるけど(ていうか捨てた)、当時は新品のそれを持っていった。

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細い竹を2本もらい、小刀で削っていく。その後の夕食や、朝食で自分が使うやつだ。

左右で大きさが違う、細かい凸凹が沢山ついた、不格好な箸が誕生した。

箸を作っているときのこと。蜂だったかな。アブだったかな。そいつが出現して、その場はひと騒ぎ。「わー! 殺せ―!」みたいな声も上がったと思う。その時だよ。

「殺生はいけません」

住職さんがそう言った。家は仏教徒でもあったわけだけど、その考えに触れたのは初めてのことだった。その時に何を思ったのかは覚えていない。納得はしなかっただろうな。

花火

寺で花火。寺で花火をした。

ミニゲーム

寺の中で、仏像に見守られる形で行ったゲーム。何か走ったりする系。列で順番待ちをしているとき。ふと横を見ると、窓の外の暗闇に人影が見える。父だ。父が見ている。腕組みをしながら。真顔。母もいた。恥ずかしかったなあ。でも、分かるよ。見たいよね、子供の姿。

スポンジ代わりのたくあん

夕食でカレーを食べたときのこと。「こうやるんですよ」とお寺さんは、たくあんを箸に持つ。たくあんを滑らせ、カレー皿を綺麗にした。「こうすれば、洗うのが楽になります」 

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後日、自宅にて。「ねぇねぇ、たくあんない?」とドヤ顔しながら、おばあちゃんと父に見せつけたのを覚えている。

座禅体験

お寺といったら、これです。パチンと叩かれる例のアレも体験した。座禅はもちろん目的のあることなんだけど、当時は全く意識の外。ただやっていた。終わった後、足が痛かった。普段アヒル座りだったから尚更だ。

最後に

後は、雑巾がけなどをした記憶があります。あと蚊帳の中で寝たのは初めてだったし、早朝の大きな鐘の音と眠気は新鮮だった。参加したのは、この1度きりでした。

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日々の生活に関して妙に押しつけがましい西遊記の下敷きももらった。ファミコンて。

(2015年11月10日)

この曲を聞くたびに苦労してゲームを買いに行った時のことを思い出す

Tales of Legendia Intro Opening Full HD Japanese - YouTube

Do As Infinity『TAO』。この曲を聞いて、「台風の日に自転車をこいで橋を渡る」イメージが浮かぶ人はいるだろうか

テイルズ オブ レジェンディア

このゲーム、『テイルズオブレジェンディア 』の発売日は2005年8月25日。私は小学校5年か6年だった。台風によって風が吹き荒れる日で、4kmほどの道のりを自転車で走った。

別に、この日に買う必要はなかったのだ。取り置きは何日かしてもらえるので、天候の良い日に落ち着いて行けばよかった。でも、待てなかった。待ちきれなかった。

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嬉々として自転車をこぎ、橋の上で「ボボボボボボボ!」と風を勢いよく受けながら、ハチャメチャになって店に着いた。

あの曲が心を動かすのは、ゲームの中での体験が影響しているのはもちろんだ。でも、それだけではない。大変な状態になりながらゲームを買いに行ったこと、その愛くるしさみたいなものも影響しているのではないだろうか。

『TAO』を聞くと、「あぁ……」と懐かしいような気持ちになる。

こういう案件は減っていくのだろうか

ゲームのソフトをダウンロード購入できる時代になった。その方が安いし、圧倒的に早い。「欲しい」と思ってからプレイまでの時間はごくわずかだ。

すごく便利なんだけど、そうなると「ああー! あの時苦労したな(笑)」というようなことが減っていくのだろうか。まあ、それを悲しいとも思わないし、ましてや「ダウンロードをやめるべきだ」なんて言わない。

ただ、「そのことについてちょっと考えを巡らせた」という話。

(2016年7月28日)