生活に関する実験やこだわり
食・衣服 こだわりあるが 興味ない
全てをまとめると、「最適化したい」という欲求の表れなんだと思います。本能的最適化。「ある時までは別のことに注いでいた気力と時間を、もっと有効に使いたい」。そんな気持ちの表れ。
(2016年12月12日)
毎日同じ服を着る
「今日は何を着るかなー」の日常から、毎日同じ物しか着ない日常に切り替わっていったのは、大学2年くらいから。
それまでは毎日服を選んでいたし、「昨日と同じ服を着ている」と思われるのがイヤだった。
それが今は逆だ。服は選ばないし、同じ服を着ていると思われることに何の抵抗もない。「夏はこれ! 冬はこれ!」「下着はこれ! 靴下はこれ!」と1つに絞り、それ以外の物は買わない。
また、安定的に買えない物、例えば限定物やチェーン展開されていない店の物は買わない。1つのメーカーでなるべく統一するようにしている。私の体の95%はUNIQLO、もう5%は無印良品で出来ているので、「たとえしまむらでもっと好みの物を見つけても絶対に買わない」というわけだ。
そのようになった最大の理由は、「今日は何を着ようかなー」がイヤになったからだ。「違う服を持っている」ということはつまり、手持ちの服の中で「お気に入り」が生まれて順位がつくということ。
「今日はこの部活の集まりがあるから、一番お気に入りのこれでいくか? あ、でも、今日は好きなあの人来ないんだっけ。じゃあ、これにしようか。でも、このズボン昨日はいたからなぁ。じゃあこれか。んー。上と合わないなぁ」
あーーーーーー! そんなことをやると思うと、あーーーーー! そういうのがイヤで、同じものしか着ないようになった。ちなみに、「同じ物を着るようになった」といっても、変化し始め当時と今とでは着ている物は結構違う。
フォーマルな服装は、何着るか迷わなくて済むから好き。最近そればっか笑
(2013年3月20日 12:56)
こういう「かっちりした服」を好んでいた時期があって、それで統一していたのだが、いつしか「かっちりして嫌だ」と恥じらいが出てしまってやめた。それからはラフ路線で服装の統一化を図ってきた。「着るものを統一しよう」という気持ちは変わらなかったわけだ
あと100年あっても足りない趣味の時間
大量のインプットで感性をボコ殴りにして向上させていくのが、趣味であり人生の目標。
野鼠、避雷針、裏面(りめん)、ジャンプ、喧騒、賭博、木こり、棺桶、カマキリ、綿雲、剣山、溶岩、呆然、かさぶた、浮気、植林。「あらゆるモノに感化されながら、この羅列を永遠に続けるようなもの」というのが生き方の説明。怒り、砂鉄、渡り鳥、歯車、高山病、えくぼ、王冠、4次元、槍、根回し、
(2016年6月21日 23:46)
そのためのツールが、映画や本などだ。世の中には「オススメの本」というのが数え切れないほどあって、「無限にあるんじゃないか」と錯覚を覚えるくらいだ。その全てを取り込みたいが、命は有限。取捨選択が必須。
取捨選択の方法
「ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ」
これは『ノルウェイの森』で登場するセリフ。取捨選択の際、この言葉がよく心に浮かんでくる。「大切にしている言葉」と言ってもいい。この場合における「時の洗礼」とは、「長い時間の中での評価の目」のこと。それによって高い評価を獲得し続けた本。それを読むようにしている。
具体的には、「Amazonのレビュー件数が10件以上で、星が4.5以上」の本。例えば、「読まずに人生を終えるのは人間のニワカ! オススメの本20選」という記事があるとする。そこで紹介されている本を一つ一つAmazonで検索して、上記の条件に当てはまるかを確認する。当てはまれば「ほしい物リスト」に追加し、それ以外はバイバイ。
以前は「レビュー10件以上」という条件は設けていなかった。その場合、「レビュー件数2で星5と、レビュー件数200で星4.0は不公平ではないのか」という疑問が思い浮かんだ。また、欲しいものリストが本だけで300をゆうに超えたため、「読む前に死ぬわ!」となった。そのため、網目を細かくする対策として「レビュー10件以上」を追加した。
例外として取り入れるもの
1. どうしても惹かれるもの
「パッケージがどうも魅力的」とか、「あらすじが面白そうすぎてバイバイが勿体ない気がする」などの場合。
2. 好きな人のオススメ
考え方が好きな人、文章の書き方が好きな人、生き方を尊敬している人などが薦めているものがあれば読む。評価が高くなくても、レビュー件数が少なくても絶対読む。こうして宗教は誕生するのだろう。
最近の例を挙げると、「『おジャ魔女どれみ』全話を見た」がある。きっかけは「ニコニコ生放送」のとある雑談放送。その人は独自の説を唱えていた。
「『鋼の錬金術師』と『おジャ魔女どれみ』は似ている所がある!? なにそれ!」
内容をGoogleで検索しても、似た物は出てこない。その独特さが凄いと思った。何より話がとても興味深く、面白かった。感心した。その人の事が気に入った。で、「おジャ魔女」を薦めていた。すごく好きらしく、「みんな見るべき」と言っていた。全話見ることに決めた。ちなみに、鋼の錬金術師も全部見た。
その際、レビューは一切気にしなかった。
受動的な受容について
ここまで読んでお分かりのように、「何を読むか」について自分の感情をあまり入れていない。「オススメしている記事」や「レビューの内容」など、判断基準は自分の外側にある。
何も、それは一生のことではない。人生における1つの季節、つまり「ある1ジャンルに偏らないように気をつかっている」期間だ。音楽に関してもそう。なので、自分が読みたい本や観たい映画、聴きたい音楽が無いわけではない。今の季節が終わったら、一つの作家に絞って読むことをしてみたい。手始めは芥川龍之介と決めている。何となく文章全てが好きな気がするからだ。
今は、受動的な需要の季節。
(2016年12月20日)
165日間の湯シャン生活
2014年9月14日から2015年2月26日までの約5ヵ月(165日間)。シャンプーを使わずにお湯だけで髪を洗う生活を経験し、「明らかにデメリットの方が多い!」ということが分かりました。以下はその時の手記です。
7日目。髪のごわつきが日に日に増している。ごわごわなので「整髪料要らず」という感じ。ふんわり感がなくてベタっとしている。髪を切る際に梳いていないので、ボリューム感は丁度良いと感じる。そして、乾かした後に指に垢がついて白くなる。その白いのが服に付くと、白くなって取りにくい。ふけの量は気にならない。毎日洗えば、お湯だけでも匂いは全然問題ない。これは意外だった。ネットを見たら、効果が現れるまで最短で半年、長くて3年かかるそうだ。今はとってもオイリー。効果が現れるとさらさらになるそうだが……。今はまだ皮脂量が安定していないのだろうか。
10日目。髪をすいたら、ゴワツキ・べたつきが気にならなくなっている。
21日目。風呂あがるときの髪の毛をバーッてやって水分を落とすやつ。あれで絶望的に髪の毛が抜ける。弱弱しい髪の毛が抜けるのが目立つ。もやしを100等分したようなやつが。
26日目。未だにべたつきを感じるし、髪を乾かした後に垢が出る。しかし、当初のように絶望的なべたつきは感じない。今は軽くワックスを付けた感じはせず、「すこーしサラサラになってきたかな」程度。思ったのは、20年間ほぼ毎日頭皮の皮脂を取り続けてきた。よって、毎日大量の皮脂を頑張ってた作り出していてくれたわけだ。その習慣を急に変えて異常が直るという都合のいいことがある訳ない。正常に戻るのだろうかという疑念があるが、戻るのだとしたらまだまだ先の話だろう。「1/240」程度しか湯シャンの時間が経っていないのだから。
165日目。はい、ついに石鹸で髪の毛洗います。何か月だろう、続けてきて、大した効果は得られなかった。シャンプーがいらなくなるというメリットは得られた。しかし、「くさい」、「垢がつく」、「ごわごわする」など、デメリットが多すぎた。 動くだけでも自分で臭いのが分かるくらいだから、周りに放っているんだろう。これ以上続けてもよくなるとは思えないのでやめることにした。「長くて3年かかる」とどこかに書いてあったが、たとえ良くなるとしても、これ程のデメリットを感じながらまだ続ける必要があるだろうか。母に「くさい」言われたのが3回目くらいだからね。
湯シャン生活を終え、5か月ぶりの石鹸洗髪。手垢が少なくなり、それに伴い乾きが速くなった気がする。それもそのはず、垢は水分を保つ。あと、乾かした後の髪のさらさら感が全然違った。もうね、洗う前と洗ってから乾かすまでが楽しみ過ぎた。父からは、「つやが出た、いいわ」と言われた。パサパサしていいね、触りたくなる。
(2016年2月18日)
追記:2017年5月31日
皮膚の赤みと、粉をふいたようなフケ。この眉毛の上だけに見られる症状は、湯シャンを1ヵ月ほどした辺りから始まった気がする。皮脂が過多だったり不潔だったりすると、菌が繁殖して肌が炎症を起こすのが原因。軽くこするだけでも粉は舞うし、近くで見なくても肌が変なのは見て分かる。肌の白さに自信があったこともあり、これには困った。
さらに湯シャンを1ヵ月続けたが、この常態化した症状は治まらなかった。「(臭いを気にして)人の近くで頭を振り動かす事への不安」から逃れられないのと相まって、やはりシャンプーで頭を洗おうと今日決めた。